人から言葉を奪うもの


人が言葉を失ってしまう場面は数多くある

一瞬にして周りの世界が変わったときなどが正にそうである

例えば1945年(昭和20年)8月、世界で初めて広島・長崎に原爆が落とされたとき

眩(まばゆ)いほどに空が光ったのに人々は一体何が起きたのか理解できないでいた

そんな時、人から言葉は出てこない

その後聞こえてくるのは「呻き(うめき)」「叫び」「泣き声」のみである

戦争は始めるのはたやすいが終わらせるのはとても難しいと聞く

ピカドンはそれだけ非情で残酷であり人類の歴史に真っ黒な1ページを残してしまった

私たちの想像を超えた事態が発生したとき人は言葉を失う

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稜線から輝く朝陽が昇るのを目にしたとき人は言葉を失う

代わりに得るものと言えば、きっと勇気と希望と生きている歓びに違いない


水平線に後姿の夕陽が沈むのを目にしたとき人は言葉を失う

その胸の内を過(よぎ)るものと言えば、きっと感謝と反省と軽い感傷に違いない

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本当に悲しいときに人は言葉を失う

無償の愛に接したとき人は涙とともに言葉を失う

自分の無力さを思い知ったとき何故か人は言葉を探そうともしない

素敵なメロディを聴いているとき人は音楽と無言の会話を楽しんでいる


思えば現代は政治家も含めて言葉をうまく使える人が減ってきているのだろう

そもそも言葉とは「言(こと)」と「端(は)」の複合語

「言(こと)」は「事」に通じるところから「事実」になりうる重い意味をもつ

だから最初は軽い意味をもたせようとして「言(こと)端(は)」とした


その後「言葉」「言羽」「辞」「詩」「ことば」などが万葉集や古今和歌集、土佐日記、徒然草で使われた

結局最後に「言葉」が残った理由とは古今和歌集のある一句がきっかけであった

その句には「葉」には豊かさを表す意味があるとの考え方が表現されていて実はこれが広まった

「言葉」はこうした経緯でメジャーとなり現在に至っている

まるで宙をひらひらと舞い人の心を豊かにする「葉っぱ」のようでなんだかしっくりとくる

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ところがこの言葉が今や「凶器」と化している

誹謗中傷は今に始まったことではないがSNSでは特に注意したい

場合によって人を追い詰め命を奪う事さえある言葉というもの

傷つける言葉はあのピカドンの黒い歴史やコロナ禍での幾多のいじめ問題となんら変わりはない

それだけ言葉というものは難しいものだ


ここまで七転八倒しながらなんとか書いてきたが、実に様々な言葉の失い方があるものだと正直驚いている

ただし言葉を失うことは受動的であるが使うことは能動的だといえる。

つまり言葉とは使うことに本当の価値がある

しかし難しいのは言葉は使い方によって変幻自在に表情を変えてみせてくることだ


誤解を恐れずに言ってしまえば・・

慈悲深い仏の言葉のように聞こえるときもあれば地獄の閻魔(えんま)のように聞こえるときもあるということだ

言葉とは眩暈(めまい)がするほど多感だった僕の青春時代の揺れた恋心にどこか似ていて厄介でなんだか少し物悲しいものだと感じている

S.T


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